こんばんは、トヨダです。
今日はちょっとファッションの持論についてちょっと書きたいと思います。
最近思うこと。。
どんな服装をすれば、良いのか迷っているとき、何を基準に考えていけばいいんだろうか?
現在のおしゃれ感って
自己満足のファッションから共感を呼ぶファッションに転換されている気がするんです。
1995年~2002年くらいにかけて、洋服にもプレミアム的な価値を持つ物が一杯ありました。
ナイキもしかり、ノーウエア系と言われるドメスティックブランドもしかりビンテージデニムも。
このブームの肝は、
言ってしまえば、一握りの人達にしか、情報が出なかったから起きた現象なんです。
要は、その情報が欲しくても、なかなか手に入らない情報になっていたんです。
ショップの店員やその周辺の人達が基本的にその情報をもっていました。
それ以外は、知ることもなかなか出来なかった。
そして、そのプレミアムな物を身に着けていることで他の人との差別化が出来て、その差別化がステータスであった時代でした。
だから、思うに、それを身に着けていること以上に、それを手に入れることが出来る情報を持っていることが優越感だったのでは、ないだろうかって思います。
そこから、考えると個性的なファッションと言えたのだろうか?って疑問が湧いてくるんです。
実際は、何か少しずれていて、
人と違うファッションをしたかったのかっていうよりも、言葉は過激的だけど、注目をを浴びるファッションをみんなしたかったんじゃないだろうかって。
少なくとも、自分は、そんな感じだったと思います。
商品のクオリティっていう感じで売れていたっていうよりも情報の価値で売れていたんだろうなって思う。
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だって、今その服着てないですもん!
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おそらく、その時代も個性的というよりは、どちらかというと「アンパイ的な個性的ファッション」のストリームが強かったんだろうな。
それを着てれば、おしゃれ感あるし、今旬だし、みたいな感じで逆にわかりやすくて良かったんじゃないかと。
だから思うに、もともと、根っからの個性的なファッションっていう文化ってここ20数年ないと思うんですよね。(ある一部を除いては)
じゃあ、おしゃれに見える今のポイントって何かなぁって考えると僕は共感ファッション。
その人の見ためが共感を呼べるかどうか、これに尽きる。
生き残ってるブランドやショップも大なり小なりあるけど結局共感されているから、残っている訳だし。
だから、バーソナルな部分も一緒だと思うんです。
身長、体格もあるし、肌の色、キャラなど一辺倒ではない要素がいっぱいある。
なので、アイテム自体が良くても、合う合わないがあるんです。
例えば、かっちりとした印象を与えて行きたい人がいたとして、夏のポロシャツが欲しいと言われた場合、出来る限り台襟のあるしっかりとしたタイプのものをおすすめします。
そうすることで、首元にきっちり感が生まれます。
逆にいくら、単体で見てかっこよいものでも、襟元がゆるいものを選んでしまうと、全体的にゆるく見えてしまいます。
このシーンに合わせた取捨選択やセルフプロデュース力(与えたい印象と実際がマッチしているか)が共感ファッションの神髄なのかなぁって思います。
基本的には、好きなものを着ることが、ベストだし、
これ、かっこいいなって思うものだったり、ちょっとチャレンジしたいなって思うものをチョイスして、ちょっと迷ったりしたら相談してもらえれば、嬉しいなって思います。
そして、オシャレを継続して楽しんでもらえれば、共感ファッションに近づけるじゃないかなって思います。
そんな感じで、明日は、夏に向けてちょこっとバイイング。
そして、お待たせしているエディター×サッカニーのスニーカーの数量などの確認。
もうすぐ届きますので、ご予約されたお客様、もうしばしお待ちくださいね。
それでは、また。